親思う心に勝(まさ)る親心 今日のおとづれ何と聞くらん
2007年 05月 12日
三軒茶屋から下高井戸を走る世田谷線の松蔭神社前。
学生時代、卒業までの二年間はここの世田谷区若林3丁目のアパートで暮らした。
地元の大学への進学を望んでいたオヤジに逆らって
花の都、東京の大学進学を志望していると伝えた私は勘当同然
自分で学費を稼ぐしかなかった。
上野稲荷町で2年ほど新聞配達の奨学資金でやり繰りしていた。
二年後、出張で東京に来たオヤジに上野で会った。
配達の終わった足で自転車を転がしながら駅へ向かうと
会社の同僚と並んで待っているオヤジの顔がみえた。
日焼けした私の顔をみて安心したようにオヤジが笑ったあの日の事は忘れない。
二人をアパートに案内し、日ごとの生活ぶりを語って聞かせた。
金にも食事にも不自由はなかった。 貧乏学生でもなかった。
ただ、仲間といる自由な時間は少なかった。
3年になって授業の余裕もできた頃、
運良く大学図書館でのバイトが決まった。
蔵書目録を作成するプロジェクトで時間も報酬も完璧だった。
本もタダで好きなだけ読めた。
その頃、移り住んだのがこの松蔭神社前だった。
それから二年間、なぜか毎月母親から手紙が届いた。
鉛筆で書かれたつたない文字の手紙といっしょに
しわを伸ばした1万円札がきっちり3枚、チリ紙に包まれていつも納められていた。
朴訥な手紙の言葉にもうるっときたが、
背中をまるめて不器用に手紙をしたためる母親の姿が目に浮かび、
なんだかとても切なくなった記憶が甦ってくる。
いまやスカイプやMSNで簡単に時差を超えて話しができる時代だが、
自筆の手紙は言葉以上の重みがあるものだとその頃覚えた。
「親思う 心に勝(まさ)る 親心 今日のおとづれ何と聞くらん」
二十九歳で処刑されたときの 吉田松陰 が詠んだ歌だ。
子供が親を思うこころよりも、
親が子供を思う心の何と深いことであろう
今日の “わたし” を親はどんな思い出で愁(うれい)ているだろう…
幕末の長州藩士、吉田松蔭が安政の大獄で処刑されてから百四十八年。
二十代という若さで、日本の文明開化を伝えた明治維新の精神的支柱だったという。
そんな こころざしの高い松蔭も
死を目前にしたときには、
親の心を想っていたのだ…
この句を読んで、松蔭の胸中を思うと、
なんとも言いようのない複雑な想いと哀しみが伝わってくる。
それほど親子の絆というものは強くあらねばならない。
いまの日本では、そうしたこころが蔑ろ(ないがしろ)にされてはいないか?
どんなに離れていようが、
親からの深い想いを受けていればこそ、
自分の信念に基づいて生きられるものだ。
すでに亡くなられていても子を思う親の思いは決して変わらない。
仮に修羅のごとき親であったとしても、
それぞれの “わたし” で生きられる今
そのことに、すべての “わたしたち” は、こころから感謝するのがいい。
松蔭の辞世の句 「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂」
明日は母の日…親を想う日 “わたし” を思う日。
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by tetsuyak04
| 2007-05-12 23:46
| 大人の童話