寝床で声を出しながら、式亭三馬の 「浮世風呂」 を読んでみる
2007年 04月 06日
「ブ・ロ・グ」 とキーをポ~ンと叩くと 「風呂愚」 と変換。 で、式亭三馬の 浮世風呂…かよ!?
庶民が通った銭湯は内風呂の普及で急速に廃れてしまった…。
残された銭湯もスーパー銭湯とか呼ばれる入浴娯楽施設に姿をかえている世の中。
風呂屋でアタシらは、泳いだり潜ったり水をはねては叱られながら、社会のルールを知った。
街の話題やら政治談議やらで浮世の憂さ晴らしをしていた裸のつきあいが懐かしい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(前編 巻之上 浮世風呂大意)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
熟(つらつら)監(かんがみ)るに、銭湯ほど捷径(ちかみち)の教諭(おしえ)なるはなし。
其故(そのゆえ)如何となれば、賢愚邪正貧福貴賤 けんぐじゃしょうひんふくきせん、湯を浴(あび)んとて裸形(はだか)になるは、天地自然の道理、釈迦も孔子も
於三(おさん)も権助も、産(うま)れたまゝの容(すがた)にて、惜い(おしい)欲い(ほしい)も西の海、さらりと無欲(むよく)の形なり。
欲垢(よくあか)と梵悩(ぼんのう)と洗清(あらいきよ)めて浄湯(おかゆ)を浴(あび)れば、旦那さまも折助(おりすけ)も、孰(どれ)が孰(どれ)やら一般(おなじ)裸体(はだかみ)。
是(これ)乃(すなわ)ち生れた時の産湯から死(しん)だ時の葬潅(ゆかん)にて、
暮(ゆうべ)に紅顔(こうがん)の酔客(なまえい)も、朝湯に醒的(しらふ)となるが如く、生死一重(しょうじひとえ)が嗚呼(ああ)まゝならぬ哉(かな)。
されば仏嫌(ほとけぎらい)の老人も風呂へ入れば吾(われ)しらず念仏をまうし、
色好(いろごのみ)の壮夫(わかいもの)も裸になれば前をおさえて己から恥を知り、
猛(たけき)き武士(ものゝふ)の頸(あたま)から湯をかけられても、人込じやと堪忍をまもり、目に見えぬ鬼神(おにかみ)を隻腕(かたうで)に雕(えり)たる侠客(ちゆうつぱら)も、
御免なさいと石榴口(ざくろぐち)に屈(かゞ)むは銭湯の徳ならずや。
心ある人に私(わたくし)あれども、心なき湯に私なし。譬へ(たとえ)ば、人密(ひそか)に湯の中にて撒屁(おなら)をすれば、湯はぶくぶくと鳴(なり)て、忽ち(たちまち)泡を浮(うか)み出(いだ)す。 (超口語訳をコメント欄に載せとくね!)
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なんとも煮え切らない浮世をつらつら眺めていると、 「愚」 にもつかないこんな戯言でも吐いて
憂さを晴らしたくなるような今日この頃です。 こんな 「風呂愚」 で、ごめんよ~。
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by tetsuyak04
| 2007-04-06 19:53
| 大人の童話