「葉隠」哲学の裏表
2005年 06月 07日
「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」の一節が有名な山本常朝の「葉隠聞書(ききがき)」、略して「葉隠」は、今から35年前(昭和45年)に市ヶ谷の自衛隊本部で割腹自殺した三島由紀夫の「こころの書」だったらしい。 三島自決の3年前に三島が書き残した「葉隠入門」は現代の武士たちと時折比喩されるサラリーマンや企業人にとっての人生の哲学書とか道徳書として、今でも広く読まれているという。 「葉隠」を象徴する冒頭の一節がひと際強烈な印象を与えるだけに、しかも、常朝の「葉隠聞書」に心酔し、「葉隠入門」を書き残した三島の自決というショッキングな事件が鮮烈ゆえに、常朝の「葉隠」の思想そのものが、無謀な死を美化したり、何だかアブナイ思想が盛り込まれているかのような短絡した誤解を想起させてしまうのかもしれない?
だけど、常朝の「葉隠」をじっくり読んでみれば、ナルホドと思わせる身近な日常の教訓として、相変わらず先人の教えを学んでいない今のアタシ達の社会でも見事に通じる心構えが、たくさんたくさん書き残されていて、必見の書のひとつだろう・・とアタシは思うんだけどな!
今、流行のニートとか言われてる人たちにも読んでもらいたいな~
昨日はその中の一文を手前勝手に記事にしてみたけれど、「死ぬ事と見付けたり」という象徴的な思想とは一味違った快楽思想の一文も多くみられるんだわ。 アタシにはどちらかといえばそうした常朝の夢想と揶揄される快楽主義的な「言の葉」は、実は「生きる力を与えること」が、前提にあるような気がして、えらく共感しちゃうんだけどね。
「葉隠」を読む人の読み方次第で、薬にも毒にもなっちゃうのかな?
三島由紀夫がもう少しだけ長く生きて今の世の中を眺めていたら、同じ道を選んだろうか?
(透明人間になれるならば、それもいいんだけどな~~。 でもそれは無理よ!)
人間一生誠に讒(わづか)の事なり。 好いた事をして暮らすべきなり。
夢の間の世の中に、
好かぬ事して苦を見て暮らすは愚かなることなり。
この事は、悪しく聞いては害になる事ゆえ、若き衆などへ終に語らぬ奥の手なり。
我は寝る事が好きなり。
今の境界相応に、いよいよ禁足して、寝て暮らすべしと思ふなり。
とは云うものの、一生ニートじゃ~寂しすぎるんでないかい!!
(from a brush with hong kong by Dave Parker @1990)
だけど、常朝の「葉隠」をじっくり読んでみれば、ナルホドと思わせる身近な日常の教訓として、相変わらず先人の教えを学んでいない今のアタシ達の社会でも見事に通じる心構えが、たくさんたくさん書き残されていて、必見の書のひとつだろう・・とアタシは思うんだけどな!
今、流行のニートとか言われてる人たちにも読んでもらいたいな~
昨日はその中の一文を手前勝手に記事にしてみたけれど、「死ぬ事と見付けたり」という象徴的な思想とは一味違った快楽思想の一文も多くみられるんだわ。 アタシにはどちらかといえばそうした常朝の夢想と揶揄される快楽主義的な「言の葉」は、実は「生きる力を与えること」が、前提にあるような気がして、えらく共感しちゃうんだけどね。
「葉隠」を読む人の読み方次第で、薬にも毒にもなっちゃうのかな?
三島由紀夫がもう少しだけ長く生きて今の世の中を眺めていたら、同じ道を選んだろうか?
人間一生誠に讒(わづか)の事なり。 好いた事をして暮らすべきなり。
夢の間の世の中に、
好かぬ事して苦を見て暮らすは愚かなることなり。
この事は、悪しく聞いては害になる事ゆえ、若き衆などへ終に語らぬ奥の手なり。
我は寝る事が好きなり。
今の境界相応に、いよいよ禁足して、寝て暮らすべしと思ふなり。
(from a brush with hong kong by Dave Parker @1990)
by tetsuyak04
| 2005-06-07 04:41
| 映画・音楽・本のこと