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中年よ!妻子を抱け!


笑うのもほどほどに・・・という毎日新聞のコラムに目が留まった。

「夫よ!妻よ!」 と題した最終回。

コラムを書くために各方面の情報収集に日々いそしんできたという編集委員の近藤勝重さんの記事だった。 氏曰く、「通販生活」は目がはなせない雑誌になったという。
とりわけ 「一語一絵」 のぺージ。 どれどれ?とそれを覗いたアタシも、しばし唸らされた。 

こりゃうまい!と感動した。 と同時にブログで使えるわ~!とニヤッと笑った一語がこれっ! 

中年よ!妻子を抱け

混迷を深める人の世では古今東西、「聖なる人」 に背を向けて 「性なる人々」
「謝罪」「賠償」 のキャッチボールをくり返している。

言葉だけではなく「生き方を通して愛の証をすること」 のなんと難しいことか…。

恋多きママドルとして浮名を馳せる、かの松田聖子も40代になってもなおイチゴの水着を着て意気揚々と仰っておられます。

「私もいずれはパートナーが欲しいですね。娘には娘の人生があるわけだし、私は私で人生を歩んでいきたい。年齢を重ねていったとき、一緒にお茶を飲める人がいたら素敵ですね」って。 

アタシ、思わず ナイチンゲール の言葉を思い出してしまいました。

たったひとりでもいいから、
なんでも自分の思っていることを率直に話せる相手がいてくれたら、
どんなにありがたいことだろう・・・・・



なんの不思議もない詮無い話なんですが、アタシ、あらためて感じます。

老いも若きも男も女もなく、み~んなそれぞれの苦労を背負っているんですわ。
そう~して、み~んな何かにじっ~~と耐えて生きてるんですよね。

どんな苦しみも悲しみも、たちまち解決するなんてこたぁ~ないのだけれど、
たった一つだけはっきりと思えること…

それは・・・

それぞれが背負った苦労な荷物をほんのいくらかでも軽くしてあげることができる
そんな話し相手が身近にいればいいのにな~ってこと…ですね。

様々なこころの重荷は、親兄弟や夫や妻に、ましてや身近な友達には語れないこともあるわけで、能天気に戯言を綴っているつもりのアタシにだって、悠々と構え、淡々と語れることなんて限度があるわ…。

こころの引き出しが空っぽになって、
こころの重荷という借金が増えるような生き地獄の中では
人間、ただのひとりも健康には暮らせないものです。

「セックスレスの夫婦」 に 「スキンシップのない親子」 多いんですね。

何かのきっかけで、自分の幸せは別のところにあるのではないかと考え始めた途端に、
無意識のうちに 「不幸の坂」 を転げ落ちてゆく…そしてそこからやがて生じる家庭内不和。

悲しいかな、自分が生まれ育った日本という国の将来に期待が持てないという若者は多い。

かっては当たり前だったあたたかな人間関係や心のふれあい 
それを肯定しながらも、手に入れた豊かさを手放すこともできない

今の時代…いちばん必要なものって、なんなんだろうね?

そして

必要な喧嘩をして
必要な言い争いをして
必要な妥協をして
必要な寄り添いをして

夫婦の情愛 を築いてください。 親子の情愛を育んでください。

中くらいのシアワセでも十分シアワセなんです。

恵まれない者にとって必要なのは多くの場合、金や物なんかじゃない。

世の中で誰かに 必要 とされている、という 意識 なんだと思います。

自分のことを本当に気にかけてくれる者もいるんだ! いたんだ!と実感できることが
愛を知る ということに繋がるんじゃないでしょうか・・・。

恵まれない者 ってのは、今まさに死を迎える者ばかりじゃありませんよね。 

其処彼処に潜んでいます…。

松田聖子と比較するのもなんですが、先に召命されたヨハネ・パウロⅡ世により福者
(聖人に一番近い者) に上げられた、かの マザー・テレサ も仰っていたでしょ。

豊かさとは、 「与えること」 って…ね! Life is a Gift !  
のために生きてください!
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by tetsuyak04 | 2005-04-21 06:34 | 徒然なるままに戯言を | Comments(2)

意地だけじゃ~生きられない! ~平均寿命世界一?!


b0027290_439427.jpg生きる ということは生涯をかけて学ぶことである!」などと聞かされると、「な~るほど~!」などと粗野な物言いをしながらも、な~んとなく納得しちゃったりする純朴なアタシ。 

「ほんでもって生涯かけて何を学ぶんでしょうか?」と、
問えば 「死ぬこと とみつけたり!」・・・って、ア~~タ! 

アタシはただただ平凡であることの「恵み」っつうのを忘れずに生きたいだけなのね・・・・・。


b0027290_4411447.jpg世界保健機関(WHO)が7日発表した2005年版の「世界保健報告」(調査は03年に実施)によると、平均寿命が世界一の長寿国は我が日本で・・・82歳。
男女別では男性も (男性も! って言い方は気にくわないが) 日本はスイスやスウェーデンなどと並び78歳で最長寿。 平均寿命は世界192カ国中、日本など13カ国で80歳以上だった。だが、アフリカの26カ国とアフガニスタンの計27カ国は50歳未満だった。最も平均寿命が短いのはスワジランドの35歳。
今年の世界保健報告は「すべての母子を大切に」をタイトルに、乳幼児と、妊娠や出産に伴う女性の死亡率を低下させる必要性を強調している。

平均 寿命 が長くなったというだけで、ただ漠然と喜んでていいものなのかな・・・・・?


b0027290_445301.jpgbali あたりの美しい波打ち際に一生佇んでいられるのなら、きっと世知辛い世間のことなんぞスッパリ忘れられるのだろうけどね~・・・・・。

せめて旅行がてらに著名人や歴史上の人物の見物にでも参るのも一興だが、いまどき都会では墓場なんぞは不足していて、その値段を聞いたらアンタ、アタシみたいな貧乏人目ん玉引ん剥いて絶句するのが関の山です。 霊園のセールスマンに
死ぬなら今のうちですよ~!」 とか言われてもな~~。  かといって、
コインロッカーのような墓になんぞ、死んでも入るつもりはないし。


b0027290_4475715.jpg人間には 意地っつうものがある。 アタシみたいな貧乏人ほどそいつが強い。貧乏をこの世で支えてくれるのはその意地だけなんだから。 頑固に意地を張りながら行けるとこまで頑張っちゃいますアタシ。 でもな~、さらに寿命が延びちゃって、終には自分の意思で自分のカラダが使えない不自由になっても「今日は残りの人生の最初の日なのよね!」などといつまでポジティブ・シンキングで日々を過ごせるだろうか? 自信…ないな~アタシ。

ところで、つい最近亡くなられたと報じられた 「テリ・シャイボさんの尊厳死問題」 も、実に難しいテーマですね。 殺人か尊厳死か? 本人或は親族の意思かどちらを優先すべきか? 

神さまにすべてを委ねるとは言っても、彼女と同じ状態ならば、アタシは残される者の為に
尊厳死をオネガイしたいと思っていますが・・・・・。  
お疲れになったでしょう? こんな話。 波の音 でも聴いてこころ を癒して下さいませ。

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by tetsuyak04 | 2005-04-09 05:39 | 徒然なるままに戯言を | Comments(3)

「メタノイア」 の ススメ

宗教は人を救うものではないの? (from : una noche azul)


信仰心のカケラも無い人々からも関心を寄せられていたローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が2日午後9時37分、ローマ法王庁で死去された。享年84歳。
神に仕える者としてだけではなく “ヒト” としてこれほど多くの人々に敬われる存在であったことにその生涯を思い・・・・・哀悼の意を捧げるアタシです。

世間には宗教の名を借りた実質的営利法人も山んごつある。日本人には信仰心がない、哲学がないという揶揄批判のたぐいは耳にタコできるほど聞くけれども、そもそも 宗教ってなによ? 宗教者ってなによ? 根源的な問題に思い至らせてくれるヨハネ・パウロのオッチャンではあった。 (from 東京無重力アワー’05)

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率直な感想ですよね~、アタシ、思わずウンウン!と頷いちゃいましたよ。
信仰心、哲学、宗教・・・・・クリスチャンのアタシですが、いまだにヨ~クわかりません。 
苦しいから信仰を求めたのではなく、信仰に出会うために苦しみが与えられてクリスチャンになったんだよ~!とアタシなんかが言ってみたところで、哲学者クーンによる 「パラダイム」 やカントによる 「コペルニクス的転回」 を語るようなものかもしれません。 結局、わかってそうで正直じぇんじぇんわからんちゅう事です。 が、

所詮アタシら人間のアタマではわからなくて当然で、んなムズカシイことを考えなくてもス~と受け入れられる瞬間に生まれる 「心の支え」 がそれぞれの信仰なんじゃないのかと思っとるワケです。

アタシ、無信仰よ! とかいってても 「ころばぬ先の星占い」 なんかを気にしたりするのって、けっこう信心深いじゃん! とかツッコミいれたり・・・・・アッ!、ちょっと脱線しすぎね。

時には視点を変えて物事をみてみるって事を言いたかったのね、アタシ。

ギリシヤ語で メタノイア(μετανοια) と言う言葉がありますね。 知りません? 実はそう言うアタシもちょっと前までは知らなかったんですけどね。 

原意は 「方向を変える」 とか 「視点を変える」、 「深く反省し、二度と同じことをしない」 というような意味らしいですが、「悔い改め」という意味もあるそうです。

なぜ、悔い改めなければならないのか、って?  それは、視点を変える、方向を変えることによって、「隣人の愛」 を得ることが出来るからです。

Why ? 「メタノイア」 を逆から読むと、「アイノタメ」 となるっしょ!。 これってはっきり言って、コジツケなんですが、これも メタノイア (視点を変える) っつうことじゃん!

科学と信仰、人間と神・・・・・なかなか交わらないところに 神秘 を感じます。

余談ですが・・・・・、
地動説をとなえたことで知られている コペルニクス (Nicolaus Copernicus)、10億ものカソリック信徒の頂点、ローマ教皇 ヨハネ・パウロ2世(Paus Johannes Paulus II)、どちらもポーランドの御出身なんですね。
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そういえば、ニ度もノーベル賞を受賞したキュリー婦人こと マリ・キュリー(Maria Skłodowska-Curie) も、そして心模様をピアノで語った、あの ショパン(Frédéric-François Chopin) もポーランド出身だそうです・・・・・。
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この世の中には実にいろいろな方々がおいでですが、
博打狂いのお気軽暇人や、破廉恥な偽宗教指導者 ・・・哀しいね~。
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by tetsuyak04 | 2005-04-06 06:20 | 聖書・信仰・祈りの世界 | Comments(5)

日本の、これから <格差社会>

トラックバックカテゴリ:ニュース・評論


◆◆◆混迷する21世紀、日本に山積する問題をNHKが総力をあげて取材し、私たちが進むべき道を模索する、新しい形の大型番組。
少子高齢化による人口減少、広がり始めた貧富の格差、安全保障の行方・・・など私たちの「これから」を大きく左右する切実な問題をタイムリーに、かつ多彩な演出で取り上げ、長時間編成や連日編成など、大胆な編成で追っていきます。
「日本の将来は、この5年間の間に決まる」ともいわれます。道を誤ることの許されない、大きな岐路に立たされた今、私たちは、どこに向かって一歩を踏み出せばいいのか。
視聴者の皆さんとともに、未来への道標を探って行きたいと思います。◆◆◆


という、謳い文句で始まったNHK三宅民夫キャスター司会の「日本の、これから」という番組が昨夜放送されていたのを偶然みた。 日頃のニュース番組は娯楽と割り切って眺めているアタシですが、格差社会をテーマとしていたこの番組をみていて、「う~~~ん・・・・」と、うなる切実な場面に遭遇した・・・・・。 

引き継がれる固定化・・・・・とは?

北海道大学の教授による10年ほど前からの追跡調査に基づいた報告で、
経済的な家庭環境が低い場合、そうした家庭の子供のその後の人生も親同様に低いレベルで固定化されていく傾向がある。 というものだった。

確かに、経済的な余裕がもてない家庭は、日々の暮らしに汲々なわけで、子供らの十分な能力や意欲に反して、希望通りの進学はもとより、芸術・文芸・スポーツといった分野に取り組む機会を容易に奪ってしまう可能性があるし、事実そうした家庭の存在は決して少なくはないのだろうと想像しています。 

うらやましくも見える医者の子は医者に、寺の坊主は坊主に、といった世襲で生きられる環境にいる人の絶対数って、いったいどれくらいいるのでしょうね? もちろん、様々な例外の存在は否定しませんが・・・・・。

嫉妬したところで何もはじまらないし・・・・・。

翻って、アタシ自身のこれまでの生活と環境を省みるに、わが子にどれだけの事をしてあげられたであろうか・・・・・?。 嗚呼~無情・・・・・。

絶頂を極めて頂上に旗を立てて、強風に煽られている時期は長くは続かないものです。 旗を畳んで山を下りかけて、陽溜まりにうずくまる時に感じる穏やかさの中から見えてくるものだってあるじゃん! とかウダウダ言って、プータローを気取ってる場合じゃないな~と、自戒の念を覚えたのでした。   

アタシ・・・・・もっともっと、ガンバラナクッチャ・・・・・!。
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by tetsuyak04 | 2005-04-03 04:31 | 徒然なるままに戯言を | Comments(1)

山谷ブルース と 丹下健三


建築家の巨星が逝った・・・。

アタシもかつては建築の世界でメシを食っていた建築馬鹿の一人であります。
また、賛否両論渦巻く 「東京新都庁舎」 の建築に僅かながらも関わった者の一人として、
建築世界での丹下健三の功績には敬意を払う。

アタシがまだ若かりし時代・・・「オラも東京さ行くだ!」と、北の大地を飛び出して、ひとまず落ち着いた先が東京は台東区東上野の稲荷町。 つい最近、落語家の林家こぶ平改め九代目、林家正蔵が襲名披露を
したばかりだが、その祖父の七代目林家正蔵の住む長屋のお隣だった。 

アタシはそこから東京下町の人情・風情に染まっていくことになりました。 御近所のテキヤの親分や兄さん達が、貧乏学生の自分をなぜか可愛がってくれました。 銭湯の一番風呂に誘ってくれたり、ほうずき市や朝顔市の手伝いを愉しんだり、(全身彫り物だらけの兄さんら、ホント優しかった…)、浅草寺から浅草のロック座や場外馬券売り場で時間をつぶしたりしてた頃、すぐ側には…日の当たらぬ生活に明け暮れていた労働者の町 「山谷」 があった。

浅草から花川戸、今戸をぬけ南千住に向かう道筋をたどっていくと、日本経済を最底辺で支える日雇い
労働者の街 「山谷」 がある。 1960年代後半、岡林信康はそんな 「東京の裏町」 に生きる労働者の姿を
歌にした…「山谷ブルース」 だ。

人は山谷を悪く言う
だけどおれ達いなくなりゃ
ビルもビルも道路も出来やしねえ
誰も分かっちゃくれねえが

建築馬鹿の矢田洋がかつて “建築をやめたい人へ” と題して建築馬鹿選集のプロローグに
こう書いている。

誰が建築をつくる? 建築家だ、と断言するのは自惚れにすぎる。
建築主だ、といえばお世辞がすぎる。 施工者だ、職人だ、では簡単すぎて問題がぼける。 
「造る」 と 「創る」 では答えが違う。 合わせて 「創造」 という。  

建築は誰が創る? それは建物を使う者だ、と言ったこともある。  
すべて一緒になってでかしたのだ、というのがスマートな答えだ。 

「建物」 と 「建築」、また意味が違う。 建物のどの部分を指してもそれは 「材料」 の構成にすぎない。 
建材の組み合わされた 「もの」 が建物であり、組み合わせる 「こと」 が建築なのだ
……と。

あれから何十年たったんだろう!?  アタシは香港に流れ着いていくつかの建築に携わり、
幸運にも世界標準のものの見方やあるいは偏見を見聞きしてきました。

かつて「山谷」でみた路上に座して酒を飲みながら名もなき人々が互いに誇りを持って、語り、怒り、笑い、共感する風景。 そこには、希望と限りない可能性と豊かな人間性が溢れていたような気がします…。

いまや路上生活者の存在が社会問題にまでなっているニッポン。 

建築家、丹下健三は世界建築界の巨匠として名声を博して時代の代表作を世に残したが、
発展神話が崩壊しかけている現代の建築や都市の裏側には、戦後日本の成長とともに、それを
支えてきた数多くの名もなき労働者のそれぞれの人生が存在していたんだ!という、
そうことの方に今、アタシは熱い想いを馳せている…。  

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ランキング参加について、私は思う

2007年2月19日から 「ブログ村(オヤジブログ)」 と 「ブログランキング」 という2箇所のランキングに参加しています。 多くの方々がそうであるように、私も日々の思いをブログに綴りそれを公開することで未知の方々との遭遇を愉しみ、共感したり、異なった生き方や思いに刺激されることを望んでいます。 

私のブログは全くの自己満足のためですから大義名分もないし、毒にも薬にもならないようなものです。

多くの方々との出会いが目的ですからランキングのために衆を頼んで一喜一憂したりすることも、無理に記事を書こうとストレスをためるようなこともありません。 書きたいときに書きたいと思います。

ランキング参加はネットの連鎖を通して未知の方々との遭遇の機会を広げますし、正直励みにもなります。 が、投票は決して強制ではありません。 私の思いに共鳴するものがあったよ! という時に押してくださりお声をかけてくだされば誠に幸甚に存じます。 

多くのよき出会いがありますように。。。
 (2007年 3月15日)
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by tetsuyak04 | 2005-03-23 23:34 | 徒然なるままに戯言を | Comments(0)

祈りによる解決?! ~Passion Week~ を機に考えてみる

祈りによる解決!? (from 教会用語を考える)

クリスマスとならんでデパート商戦が活発に催されるイースターが近づいてきました。
香港では今週の25日の金曜日から28日の月曜日までがイースター4連休です。

キリスト教では移動祝日の20日の棕櫚(シュロ)の聖日(日曜日)から27日のイースター
(復活祭)の前日の土曜日までの1週間を “受難週(Passion Week)” としています。


折角ですからこの “Passion Week“ について簡単に整理しながら、祈りについての自分の考えを書いてみようと思います。

“Passion” は英語では「情熱」という意味を表わしますが、キリストの受難のことでもあります。 昨年、メル・ギブソンが監督した映画 「Passion」 も公開されましたので御存知の方もおいでかと思います。

棕櫚の日曜日(Palm Sunday)にイエス・キリストは力を象徴する馬ではなく、柔和を象徴
するロバに乗ってエルサレムに入りました。 キリストを「ローマ帝国の支配から解放する王」
と期待していた多くのユダヤ人は歓声を上げてイエスを迎えました。

人々はイエスの通る道に自分の服を敷き、他の人々は棕櫚(シュロ=なつめやし)の枝を切って敷いたために、“棕櫚の日曜日”と呼ばれています。 しかし期待を裏切られたと思った群集は、歓喜の叫びをあげたこの日のわずか数日後には、イエスを十字架につけろ!と叫ぶようになるのです。

木曜日が洗足木曜日(Maundy Thursday) と呼ばれている 「最後の晩餐」 の日です。 
弟子の裏切りも予知していながらもイエスはたらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、
腰にまとった手ぬぐいでふき始められたのです。 この夜にイエスは捕縛されました。

翌金曜日が、イエスが十字架で殺された “受難日(Good Friday)” です。 
英語では “Good Friday” と呼ばれていますが、それはキリストが死んだことで、キリストを
信じる者の罪が赦されるとされるからです。  しかしキリスト者にとっては、自分の罪の為に
キリストを死に至らしめた悔恨の日とも言えます。

受難日から三日目の日曜日が、イエスが死より甦った日、“復活祭(Easter)” となります。


私は3年前の2002年5月19日、ペンテコステ(聖霊降臨の日)に母教会となる香港JCF
(香港日本基督教会)に於いて息子と一緒に洗礼を受けてクリスチャンになりました。

自分は打たれ強い方だとは思いますが、それでも人並みの苦労はありますから心を暗くする
思いや出来事に当惑して悩むことも多々あります。

どんな人にとっても、生きるということはたやすい事ではありません。 

それは過去と未来が絶えず私たちを悩ませるからです。 咎めや悔恨が過去からついてくるし、思い煩いが未来からやってきます。 今、私が在る状態がまったく思いもよらないことだったとしても、自分の人生の支配権はいつも自分が持っているのだと思うものです。 

自分にとって必要なものは何か? 次に何をしたいのか? といったことをことごとく自分で決
めたいものなのです。 その一方で、困難や苦難に遭遇した時、あるいは欲望や願望を叶えたいと思った時に人は、見えない何かに願ったり祈ったりしてすがりたくなるようです。

私も紛れもなくそんな人間の一人ですから。

祈りによって抱える問題は解決できるのか? ということについては正直なところ私にはわかりません。 

神様を賛美します!と唱えながら、実は自分が願っている結果だけを密かに望みながら祈っている間は、ただ自分を欺いているだけのような気がします。 そのことで自分を変えたり状況を好転させるようなことはきっと何も起こらないと思います。

哀れっぽい泣き言を言いながらクリスチャンという仮面をかぶった偽りの謙遜の祈りには
決して平安は訪れないでしょう。 私も無意識のうちにそんな祈りをしていましたから。

神様がなぜ、またどうしてこんな禍を私に、あるいは世の中に起こされたのかを知ろうとすればするほど人は知性によって困難に陥ってしまいます。 その知性を持って事態を受け入れることができるかどうかだけが“信仰”の始まりであり、行き着くところであるような気がします。
   
「ニーバーの祈り」 には、そんな気持ちが込められているように私は思います。


主よ、
変えられないものを受け入れる心の静けさと
変えられるものを変える勇気と
その両者を見分ける英知を私に与えてください。


God
grant me the serenity
to accept the things I cannot change,
the courage to change the things I can;
and the wisdom to know the difference.

-Niebuhr, Reinhold -

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by tetsuyak04 | 2005-03-22 20:21 | 聖書・信仰・祈りの世界 | Comments(4)

人生の分かれ道

人の未来には、いつかどこかに分かれ道がある。

とは言い古された言葉ですが、そういった人生のターニングポイントってのは成功した者が後々のエピソードとして尾ひれをつけて熱く熱~く語る場合には気楽なもんですが、今がまさに正念場! といった局面では結構冷や汗もんです。 って、アタシ…只今、冷や汗かきっぱし…です!。

筋金入りの夜型生活者からようやく生還してお天道様の下での日常を取り戻し始めたというのに、先ほどから煙草をくわえながら、すっかり寝静まった香港の闇夜を再び睨んでいます。

そんなアタシは今、「未来の分かれ道に佇んでいるんだぞ~」というゾッとするような自覚はあるものの、
やりたい事、言いたい事、書き残したい事のヒントが衛星のようにグルグル回っているだけで
それが具体的には一体何なのかがさっぱりわからないまま…実に曖昧な時間を過ごしているのです。

ここぞという今、黙して踏ん張っているようにも見えるし、な~んにも気づかぬまま努力もせずにいるようにも思われますが、決断を焦って誤ることなく、己を信じて待つのも努力のうちかとそう自分に言い聞かせております。  (って、決して言い訳じゃありません…。)

こいつの実力じゃあそこまでが限界だったんじゃないの~! と思われて、その通りに終わってしまうのか、あるいは曖昧だったアイデアがいつの間にか熟した時に加速度的に勢いをつけて想像もできなかった道を見つけて歩き始めるのか、実にビミョ~な機微の中に生きてる…今のアタシです。  

源実朝 が詠んだ歌…。

おほ海の磯もとどろによする浪 われてくだけてさけてちるかも

アタシは・・・まだまだ散るわけには参りません…。
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by tetsuyak04 | 2005-03-22 05:52 | 徒然なるままに戯言を | Comments(0)

私のこと



今、プータローしてます

1984年からここ香港で暮らすことになって、22年にもなりました
生まれた川に戻れないシャケのようです
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12年ほど前の1994年に会社を辞めました
正しい選択だったかどうかはいずれ書きます! 
(とか言い続けてから12年も経ってしまいましたが…)
香港駐在員として勤務していた日系企業を退職して
「時代屋」
という小さなカウンターバーを香港ではじめたのでした
(今ではもう過去の話しになってしまいましたが…)
香港の駆け込み寺、隠れ家、癒しの空間として知る人ぞ知る
伝説のユートピアでした
ホームページ  “時代屋の心” を管理しながら
今宵も集え! 老いも若きも男も女も!
個性豊かな人間模様を
時には赤裸々に
日々感じる徒然とともに
“クリスチャン” そして “武道家”

おっちゃんが居座る
「時代屋」

語り合おう!

ってな戯言を吐きながら頑張ってきました…

でも

10年の月日が経って、時代屋の使命は果たしたかな、と感じた自分を信じて
今年2005年の1月31日、突如・・・伝説のバー・香港時代屋を閉めることにしました
そして、新たな創造の途につく生き方を選択したのです

時代屋の空間と10年という時間軸の中で
とても数え切れない多くの方々にお逢いできたこと
そして、それぞれの人が抱える様々な境遇の中で率直に語り合いながら
癒し癒されてきたこと
時代屋の扉を閉めた今に至っても感謝こそすれ後悔などは一切しておりません。

さらなる正解を見つけるためには前進あるのみですから。

店は閉めましたが、ホームページ “時代屋の心” は
黙想篇さらに疾風篇・怒涛篇そして復活篇・完結篇と継続する予定です。
(本当かよ?)

俺、ちょっと焦っってきましたが
最近、巷で流行ってるという噂のブログというものに恐る恐る手をだしてみます
この
“夢の扉 Mirai Project
そして 
“時代屋の心・黙想篇”

今まで以上にみなさんが遊びに来て励ましてくれると
おっちゃん・・・頑張れる!
気がするのね。

オネガイしますぅぅぅ! ってば!
 ねっ!

さて

プータローの身になった私
これから、一体どこに向かうのでしょう・・・か?

望みが高ければ退屈しない
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by tetsuyak04 | 2005-03-16 21:08 | アタシ…のこと | Comments(0)

冬来たりなば、春遠からじ・・

天地無言 作育萬物
桃李不語 下自成蹊


天地は何も言わずにあらゆる物を産み育む。
桃や李(すもも)は語らずとも、その花や実に人が集い、
自ずとその下には道ができる。

司馬遷の史記のなかに出てくる言葉です。
徳ある者は弁舌を用いなくても、人はその人徳を慕って集まり帰服する。

さあ、ぼやぼやせずに闘志を燃やして種まきしなきゃ!
桃李のように人が集い、枝に鳥が戯れる…そんな春を夢見て…ね。
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by tetsuyak04 | 2005-02-15 06:00 | 夢のカタチ | Comments(0)

Footprints

心に残る祈り
神様に会うまで
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One night I dreamed a dream.
I was walking along the beach with my Load.
Across the dark sky flashed the scene from my life.
For each scene, I noticed two sets of footprints in the sand, one belonging to me and one to my Load.
When the last scene of my life shot before me
I looked back at the footprints in the sand.
There was only one set of footprints.

I realized that this was the lowest and the saddest times of my life.
This was always bothered me and I questioned the Load, about my dilemma.

" Load, you told me when I decided to follow You, You would walk and talk me all the way.
But I'm aware that during the most troublesome times of my life there is only one set of footprints.
I just don't understand why, when I need You most, You leave me"

He whispered " My precious child, I love you all and will never leave you never, during your trials and testings.

When you saw only one set of footprints it was then that I carried you"

(1964 by Margaret Fishback Powers)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

足跡

ある夜、私は夢を見た。

私は、主とともに、なぎさを歩いていた。

暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上に二人の足跡が残されていた。
一つは私の足跡、もう一つは主の足跡であった。

これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
私は砂の上の足跡に目を留めた。
そこには一つの足跡しかなかった。
私の人生でいちばんつらく、悲しいときだった。

このことがいつも私の心を乱していたので、私はその悩みについて主にお尋ねした。

「主よ。私があなたに従うと決心したとき、あなたは、すべての道において私とともに歩み、
私と語り合ってくださると約束されました。

それなのに、私の人生の一番辛いとき、一人の足跡しかなかったのです。

一番あなたを必要としたときに、あなたがなぜ私を捨てられたのか、私にはわかりません」



主はささやかれた。

「私の大切な子よ。 私はあなたを愛している。
あなたを決して捨てたりはしない。 ましてや、苦しみや試みのときに。

足跡が一つだったとき、私はあなたを背負って歩いていた。」





神様・・・愛しています。

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by tetsuyak04 | 2005-01-22 05:21 | 聖書・信仰・祈りの世界 | Comments(0)

香港発の路地裏放浪記! 本能と信仰を礎に地味な生き方しています。


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