旧約聖書 『ヨブ記』 ~神の義は、人の知識では計れない~


私は裸で母の胎(たい)から出てきた。
また、裸で私はかしこに帰ろう。
主は与え、
主は取られる。
主の御名はほむべきかな。

(ヨブ記1:21)
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Satan Inflicting Boils on Job    British Museum
by Blake, William (b. Nov. 28, 1757, London--d. Aug. 12, 1827, London


旧約聖書の一書で詩篇の前におかれている 『ヨブ記』 をご存知だろうか。








『ヨブ記』 の主人公ヨブは非の打ち所のない人物でした。 しかし、ある日突然、この敬虔な人ヨブの信仰を揺るがせようとするサタンの、次々と襲いかかる企みによって、ヨブは不幸のどん底に叩き落されるのです。

「私は裸で母の胎を出た。 裸でそこへ帰ろう。 主は与え、主は奪う。 主のみ名はたたえられよ。」
そう言ってヨブは揺るぎない信仰を示します。
 
しかし、さらにサタンはヨブに重い皮膚病をかけます。

その苦悶の重さから、ヨブの心は乱れます。 

潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかって自分の誠実を堅く守っていたヨブが、自分の生まれた日を呪い、激しく神に訴え始めるのです。

情に深いヨブの友人たちも、さまざまにヨブに語り聞かせるのですが、ヨブの心の平安を取り戻すことはできませんでした。

神様がいるのなら、正しい人がなぜ苦しむのか?
とヨブは苦しみの意味を問い、神様と争います。



人の苦しみとは、どこからくるものでしょうか。

病気や怪我や事故による肉体的な苦痛や苦難、また日常生活での人間関係における精神的な苦悩や苦痛。 あるいは、ヨブのように突然、その両方が、いっぺんに襲い掛かってくることだってありますね。

そんな時、ひとは誰に、どうやってその怒りをぶつけて心の解決を計ればいいのでしょう?

苦しみを与えた相手に怒り、呪い、懲らしめることで傷ついたココロとカラダは完全に元に戻るでしょうか? 絶望し、自分自身を否定し、生きることを諦めてしまうことが正しい解決でしょうか?


受容する・・・。
そうです! 自分で気づかなくてはなりません。 
自分に与えられた苦難を、生き抜くための試練として受け入れるところから始まります。


誰もが悩む人生の理不尽を主題にした 『ヨブ記』 は、私たちの人生の多くの問題に数々の示唆を与えてくれます。 人間の苦しみの意味を問う知恵文学とか知彗文学の傑作と言われてきた所以です。

最後にヨブは不屈の信仰を示し、神によって受け入れられ、この後百四十年生き、自分の子と、その子の子たちを四代目まで見た。 こうしてヨブは老年を迎え、長寿を全うして死んだ。 


『ヨブ記』 を読み解くには信仰の深さは欠かせない。
なぜ神はサタンによるヨブへの試みを受け入れたのか?
なぜヨブを思って遠方より駆けつけて来て、苦しむヨブに神を語り聞かせた友達たちを叱ったのか?

人の苦しみの意味は深く重く、神の義は人の知識では計り知れない。


「忍耐した人たちは幸せだと、わたしたちは思います。あなたがたは、ヨブの忍耐について聞き、主が最後にどのようにしてくださったかを知っています。主は慈しみ深く、憐れみに満ちた方だからです。」
(ヤコブの手紙 5:11)


悟りえない私ではあるが、このヨブのように…神を畏れる者として、信仰を深めたく思う。
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Commented by eremiya2002 at 2007-01-23 23:13
あ~~~すごい!ヨブ記!
改めてすごい!って感じるereです。
そう・・・信仰ってコレなんですよね。
Commented by tetsuyak04 at 2007-01-26 02:28
有名な言葉 『人間は考える葦である』 と言ったパスカルの瞑想録、パンセに出てくる賭けの話に興味を持ったという三浦綾子さんの言葉に興味を持つ私ですが、『人間にとって、神の存在は分からなくても、とにかく神はいるか、いないかのどちらかなんだからね』 という視点は面白い。
ヨブ記を読み、信仰には希望があります!と、私は信じて疑いません。
eremiyaさんもきっとそうでしょ!
Commented by eremiya2002 at 2007-01-30 23:36
もちろん!(涙)
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by tetsuyak04 | 2007-01-17 00:55 | 聖書・信仰・祈りの世界 | Comments(3)

香港発の路地裏放浪記! 本能と信仰を礎に地味な生き方しています。


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