病者の祈りと50の鐘の音
2005年 05月 18日
サラリーマン生活に別れを告げた
10年後の50前に、サラリーマンなら定年で受け取る退職金並みの資産は手にしていよう
そうすれば、会社というものから離れても生きてゆく能力は身につけたとして
アタシは、自分の決断に満足できるだろう
そんな風に思っていた
紛れもない情熱から生まれたアタシの居場所で
来る日も来る日も苔みたいに地べたにくっつきながら生きてきた
運が味方して、自分にとってそこは 『特別』 な場所にはなったけれど
失うものも多かったよ
おかげで少しは賢くなったかな
まだまだ、理にかなった生き方にはなっていないが
後悔はない
50の鐘の音を前にして今
確かな信仰との出会いに感謝
1950年代にスペインで生まれたリヤドロの一品はアタシのタカラモノ
そして今…アタシの心境は
◆
-病者の祈り-
大事をなそうとして力を欲しいと神に求めたのに
慎み深くあるように弱さを授かった
より偉大なことができるようにと健康を求めたのに
より良きことができるように病弱を授かった
幸せになろうとして富を求めたのに
賢明であるようにと貧困を授かった
世の人々の賞賛を得ようとして権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと弱さを授かった
人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにと生命を授かった
求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞かれた
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず
心の中で言い表せない祈りはすべてかなえられた
わたしはあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ
(ニューヨーク・リハビリテーション研究所の
壁に書かれた-患者の詩)
by tetsuyak04
| 2005-05-18 04:18
| 聖書・信仰・祈りの世界